原水爆禁止2024年世界大会に参加しました
2年ぶりに原水爆禁止世界大会に参加しました。核兵器廃絶のために、日本と世界で奮闘する方々の発言に触れ、核廃絶に向かう私たちの運動は世界の方々と一致しているのだと改めて確信を持つことができました。
ロシアによるウクライナ侵略における核使用の恫喝に加え、イスラエルのガザ侵攻が発生し、イスラエル閣僚から核使用の発言が出るという情勢の緊迫化があり、発言する多くの方から「核戦争の危機がより迫っている」と指摘されていたように感じました。一面では確かにその通りだと思います。しかし一方で、私たちは核兵器禁止条約という武器を手に一進一退の攻防をしている最中であることも感じました。
開会総会ではインドネシアのマリア・レナタ・フルタン副大使は悪化する世界情勢の下でそれでも対話が必要であると述べ、対話による紛争解決を実践するASEAN加盟国の重みを感じました。
分科会で発言したスペインの市民団体の代表の方は、核廃絶の重要性を多くの方に分かってもらうために、メディアへの働きかけや地方自治体の首長との懇談を行っていること、昨年に60以上の市民団体を束ねて「核軍縮のための同盟」というネットワークを作ったことを報告していました。現在のスペイン政府は左派的で、当初は核兵器禁止条約への批准について前向きであったそうです。しかし、何回かの選挙を経るうちに批准はまだまだだと立場を後退させてしまっているそうです。質問ができず残念だったのですが、ここにもNATOなど核兵器固執勢力の圧力があったのかもしれません。
2030年までに日本の核兵器禁止条約批准を目指す若者の発言もありました。運動に希望を感じつつ、参加されていた被爆者の方が「2030年ではあまりに遅い。来年は被爆80年になる」と発言されていました。被爆者の平均年齢85.5歳になります。被爆者が生きているうちに核兵器廃絶の道のりをつけるにはあまりに時間がないことを感じる場面でした。
核保有国における核兵器に固執する企みは根強いものがあります。一方で、核兵器禁止条約を世界に押し広げ、核兵器を違法化しようという動きは歩みを止めません。緊迫した世界情勢には危機感を感じつつも、悲壮感はない、この道を進んでいくんだ、と感じることができる大会でした。
分科会が終わった後には、旧広島陸軍被服支廠へ見学に行きました。爆心地から2.6キロありますが、爆風で変形した窓が残っています。被爆直後は臨時救護所となり、多くの方が亡くなったそうです。被爆の実相を伝える施設として活用されてほしいです。
広島県のホームページのリンク▼
旧広島陸軍被服支廠 – 旧広島陸軍被服支廠 | 広島県 (hiroshima.lg.jp)
今回の原水爆禁止世界大会への参加にあたって、正規の日程のほかに私がどうしても行いたかったことがあります。それは広島市が平和祈念式典にイスラエル大使を招待したことに抗議をすることです。原爆投下という虐殺を行われた都市が、現在進行系で虐殺を行なっている国家を招待することはやはり許せません。式典前日の5日には、杉並区の富田たく区議・小池めぐみ区議、葛飾区の片岡ちとせ区議らとともに、広島市役所前で、明日の平和記念式典にイスラエルを招待することへの抗議スタンディングを行いました。また、平和記念式典当日は会場出口にて、抗議スタンディングを行いました。この行動がイスラエルの国際法違反の虐殺を止めることに少しでもつながればと思います。
「平和」を訴えるとき、「アメリカの核兵器は良いけど、ロシアの核兵器はダメ」、「ロシアの侵略はダメだけど、イスラエルの侵略は良い」などというダブルスタンダードは通用させてはいけません。すべての核兵器をなくすため、戦争をなくすため、平和な世界を作るため、引き続き力を尽くしていきたいと思います。